2009年03月11日

今年こそ担ぎたい

花粉に惨敗zaki-nagaiです。
さわやかに鼻水流しながら仕事中です。

今日は、昨日4th MAN兄が記事にしてくれた
濱ともカードの紹介で、各店駆けずり回って、
この後も会議入っていたりと、中々素敵なスケジュールです。

記事のネタを考える間もない位忙しかったのですが、
こう言った場合は、困ったときの伊勢佐木古写真紹介みたいな…

先月、栃木県在住の杉山様から、
イセザキの古い写真を入手したので、デジタルデータで提供させていただきます。
との有り難いメールを頂きました。

データを早速拝見させていただきました所、

古い!

撮影場所は、伊勢佐木町1丁目、昨年閉店された横浜松坂屋辺りです。
杉山様のメールには、進駐軍のアルバムに有った物で、1955年前後の撮影と思われます。
と書かれておりましたが、確かに進駐軍の方々が大勢いらっしゃいますし、
1956年2月に竣工披露された画像右手の有隣堂がまだ建っていませんので、
撮影時期は確かに、1955年前後。
1953年より1954年の12月まで野澤屋(松坂屋の前身)は段階的に接収解除されるのですが、まだ、進駐軍の多さや、1951年に建てられたアーチが有る、
画像自体は、日枝神社例大祭の連合渡御の様子なのですが、連合渡御が戦後復活したのは、
同じく1951年で、この画像が撮影されたのは、1951年から1954年の間だと思われます。

神酒所(みきしょ)等の前で神輿を持ち上げる行為を「さす」と言いますが、
画像ではまさしくその瞬間の様子で、非常に活気の有る感じなのですが、
「さす」と言うのは、神様(神輿)を「さし上げる」と言う意味が有り、
進駐軍が接収している建物に向かって「さす」と言うのは、どう言った意味が有ったのか?
色々複雑な感じがします。

日枝神社例大祭は、今年は本祭の年で、画像の様な連合渡御が行われます。
当時は、伊勢佐木町1丁目から日枝神社に向かって行われていましたが、
現在は、日枝神社から伊勢佐木町に向かうという形で、進行方向は逆になっています。

まだしばらく先ですけど、今年も活気あるお祭になれば良いなぁとか思っています。  


Posted by zaki-nagai  at 19:28Comments(0)