2008年03月19日

命名は計画的に

雨Good Job!
花粉を撃墜してくれて有難う。
今日は仕事に集中できているzaki-nagaiです。

先日、二夜連続で東京大空襲を扱ったドラマが放送されましたが、無駄に豪華なキャスト目当てで、
初代若旦那兄からの「隣町の若い衆が会合してるっちゅうんで殴りこみ行くけんのぉ。お前もどうや?」
と、言うあまりにシュールなお誘いは完全にスルーして、じっくりと見てしまいました。(訳「野毛地区の青年部の集まりが有って、色々とお願い事もあるから、それに参加するんだけど、nagai君も来ない?」)

空襲といえば、当然横浜も標的となり、終戦まで30回以上の空襲に遭い、特に昭和20年5月29日の空襲は「横浜大空襲」と呼ばれ、米軍機500機以上が襲来し、50万個近くの焼夷弾を投下し、当時の横浜市域の3分の1以上が焼け野原となり、1万人近くの方が亡くなった悲惨な物だったのですが、5箇所の爆撃目標地点のうち2箇所が当地区(市役所近く・日枝神社近く)に設定され、公式記録の「横浜市内中心部ノ商店街ニ対スル無差別焼夷攻撃」とある様に、伊勢佐木町周辺が重点的に爆撃されました。
特に、伊勢佐木町から最寄りの駅の一つである京急黄金町駅(当時は湘南電鉄)は、緊急停車した電車から降りた方や、周辺の方が避難していたのですが、そこを業火に見舞われ、逃げる間も無く数百人の方々がお亡くなりになりました。

(現在の黄金町駅)
空襲をはじめ、この地帯の戦争被害に関しては、もう少し調べてまた後日にでも…

話は変わるのですが、
このブログ「空港の街」を運営している伊勢佐木町・若葉町並びに周辺地域の若手集団「ABY」も一応年度末の締め処理をしとかないとならず、諸経費の精算などをツンと行っているのですが、うちの団体の場合、金融機関の払い戻し請求書等を作る際はこんな感じになってしまいます。

正式団体名糞長ぇ

浮かれてか、若者らしさをアピールしようとしたのか、約1年前の当団体設立当時は、やっぱり「横文字」が格好良いよね!とか言っちゃって二代目若旦那会長が考えて来た物の中からよりにもよって一番長い物を選んで団体名にしてしまったわけですが、今この現状を考えると、当時断固拒否して、もっとシンプルな団体名(略称とかではなく)を提案して置けば良かったと激しく後悔したりしています。
こんな請求書を何枚も作成して、伊勢佐木町から直ぐ近くの銀行にすれば良いのに、初代若旦那兄の「横浜に一番貢献している金融機関だもん!」と言う今一意味が解からない理由で管理口座を開設した関内の横浜信用金庫本店までいそいそとお金を下しに行ったりするわけです。

…と言う、当ブログ250本目の記事を、どうでも良い内輪話で締めてしまいましたが、多少鬱憤晴らしですっきりなnagaiでした。
  


Posted by zaki-nagai  at 19:50Comments(1)