2007年05月15日

たまにはアカデミックに・・・。

こんにちは。。

目鼻立ちがしっかりとした、キツ目(目パッチリ)系の女性がタイプだと
判明した、32歳、独身の045-082こと初代若旦那です。
(Stacieさん、有り難うございます。
綾瀬はるかサンと黒木メイサさんと山田優さん、ついでに、ビヨンセの
共通点がはっきりとわかって、夜、グッスリ眠れるようになりました。笑)

小さいながらも、会社経営に携わっていて、専務なんて肩書きで・・・
しかも公的なこのブログでこんな事を書いて良いのだろうか・・・・・???

反省!!

そんなわけで、この空港の街の運営委員会(ABY)の顧問としては、
「ちょっと大人らしいところを若い衆に見せねばならん!」と発起いたしまして・・・・・
今回は、真面目に、歴史ネタを一席。


ネタは、「伊勢佐木町の由来・歴史について・・」



実は、調べてみると、結構、面白いです。

元々は、江戸時代に、大阪出身の御用商人、吉田勘兵衛により、遠浅の沼地を人工的に
埋め立て、造成された『吉田新田』の一部に明治7年5月20日に伊勢佐木町を新設したのが
始まりで、その後、明治22年に横浜市伊勢佐木町となりました。
その後、昭和3年に、町界町名地番整理事業が行われ、南吉田橋に至るまで延長し
伊勢佐木町字(あざ)7丁目を設置したそうです。
かなり、現在の形に近くなった、と言えるのかもしれませんね。

興味深いことに、伊勢佐木町の町名の由来は諸説あり・・・・・

①明治7年頃、元神奈川奉行であった佐々木信濃守と合原伊勢守の2人で開発をしたので
「伊勢」と「佐木」をもじって「伊勢佐木」になったと言う説。

②明治7年頃に、伊勢の佐々木某が蕎麦屋、佐々木庵を開業し、繁盛した為、町名は
その生まれ故郷「伊勢」と屋号「佐々木」をもじって・・・という説。

③明治5~6年頃に、太田町の伊勢文蔵と桜木町の佐々木次平が吉田橋際の
埋め立て工事を手がけたことから、その姓をもじって・・・という説。

して実体は・・・というと、

伊勢佐木町の道路造成の費用寄付をして、当時の中島信行・県令から銀杯を受けた
伊勢屋中村治郎兵衛、佐川儀右衛門、佐々木新五郎の3人の姓から、それぞれ
「伊勢」、「佐」、「木」をとったもの、という説が有力です。
ちなみに、古くは、「いせざきちょう」ではなく、「いせさぎちょう」と呼ばれていたらしいです。

いかにも港町、新興の街、と言った逸話ですよね。

この命名を契機に、文明開化にふさわしい商店の出店が集中したようです。
例えば、明治初頭に横浜で牛鍋を始めてだした「大田なわのれん」(現存・末吉町)
森永のキャンディーストアー、日本最初の洋画封切映画館「オデヲン座」など。
なんと一時期には、大相撲も行われたことがあるらしいです。
そういえば、発祥は元町ですが、「不二家」の2号店は、現在の、あの不二家です。
思うに、きっと浅草の六区のような街だったんでしょうね。
その繁栄ぶりから「イセブラ」、「ザキブラ」なんていう言葉が生まれたくらい。
当時の様子をうかがい知ることの出来る逸話ですよね。



写真は在りし日の「オデヲン座」

その後、関東大震災や太平洋戦争後のアメリカ軍の接収を受けながらも
現在に至ってる・・・・。
それが、僕らの街、「伊勢佐木町」なんですね。

(参考文献  統計でみる横浜・よこはまのまち、wikipedia)

こうやって歴史をたどってみると、当時としては最先端の文化、発祥地だったんですね。
この「空港の街」を運営している、僕らABY、正式名称はちょっと長くて・・・
「adventures to build the city of yokohama」
は、この伊勢佐木町・若葉町周辺に
生まれ育ったり、ビジネスの拠点にしているメンバー8人で日替わりで記事を記載してます。
平均年齢28歳の若い集団ゆえ、まだまだ、新しいカルチャーを提案することは難しいかも
しれないけど、いつかそれをできる事を信じて、まずは情報発信をし、地域振興に微力ながら
お手伝いをさせて頂く所存です。

おもしろおかしく、自然体で、それこそ、大学のサークルのような「ノリ」ですが
頑張っていきたいと思います。
これからも、どうぞ、宜しくお願い致します。

(長文になり、申し訳ございませんでした。感謝!)  

Posted by 045の082(初代若旦那)  at 21:27Comments(0)